明治4年(1871)8月に、明治新政府の招きでドイツの陸軍軍医正、レオポルド・ミュルレル(Leopold Muller)と海軍軍医、セオドール・ホフマン(Theodor Hoffmann)が来日し、東校(東京大学医学部の前身)の教師に就任したが、当時東校卒業生の中には軍医に進む者、 また、文部省派遣の医科欧州留学生の中にも陸海軍の軍医が幾人かいて、後に著述や翻訳等において活躍した。こうした頃に、日常学生を教授し、また医家の提携に便利なように著述出版された眼科書が本書である。
本書はドイツ国伯霊府大学校眼科教頭、兼学長、須淮歇児(Karl Schweigger)原著を坂井直常(不詳~1890)が訳補したものである。 全編を3部に大別し、第1部に光線、屈折、節視力の変常、眼鏡、検眼鏡、測眼器の躰用、眼筋の病を論じ、第2部に眼窩、涙器、眼瞼、結膜、角膜、剛膜、虹彩、水晶躰及び硝子躰の病を説き、そして第3部において眼底の常態、脈絡膜病、視神経病及びグラウコーマ、アムブリオピーを記述したものであるが、訳出されたものは第2部および第3部であつて、その理由を「予が第2部を取って上梓を急にするは其諸病の療法家の日常に急務たるを以てなり、 第1部は即ち眼科の楷梯なる故」と坂井直常は述べている。ここに掲出の版は第2部および第3部、全11巻11冊(18.5×12.5cm)、四周双辺、無界、毎半葉10行、毎行20字詰、片版名交、図式29図、刊本、和綴、明治9年(1876)6月より同12年(1879)4月に至る間に版権免許を得て、東京馬喰町島村利助より発兌されたものである。本書の巻数と発刊の年次は以下の通りである。
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眼科必携 第2部 |
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巻1 |
1編 |
眼窩病類 |
明治9年6月版権 |
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〃 |
2〃 |
涙器病類 |
〃 |
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巻2 |
3〃 |
眼瞼病類 |
〃 |
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巻3 |
4〃 |
結膜病類 |
〃 |
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巻4 |
5〃 |
角膜病類 |
明治9年8月版権 |
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巻5 |
6〃 |
剛白膜病類 |
〃 |
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〃 |
7〃 |
虹彩病類 |
〃 |
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巻6 |
8〃 |
(上)水晶躰病類 |
明治10年3月版権 |
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巻7 |
8〃 |
(下)水晶体病類 |
〃 |
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〃 |
9〃 |
硝子躰病類 |
〃 |
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眼科必携 第3部 |
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巻8 |
1編 |
脈絡膜病類 |
明治11年7月版権 |
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巻9 |
2〃 |
(上)網膜及視神経病類 |
〃 |
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巻10 |
2〃 |
(下)網膜及視神経 病類 |
明治12年4月版権 |
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巻11 |
3〃 |
緑内障眼病類 |
〃 |
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〃 |
4〃 |
真性眼球労病類 |
〃 |
「本書は近世大家の学説を折衷し、 自家の発明と実験とを挙ぐるに汲々たるを以て従来襲用の手術法に至ては之を論ずるに却て簡約に属する者あり、故に訳者ひそかに他書に拠ってこれを図式中に増補し、且つ二、三の細注を加入せり」とその緒言に述べられているように、本書の説理は精詳にして、 また、その療法は真に確かなものにして、19世紀前半欧州において一大声価を得ていたものといえよう。
訳者はこのようにドイツ医学導入と同時に近代ヨーロッパ眼科を翻訳によってわが国に紹介した。訳者坂井直常(陸軍二等軍医正)は明治4年(1871)11月長崎医学校の校長に就任、明治10年(1877)西南戦争に軍医正として参加、明治12年(1879)陸軍よリドイツ国へ留学を命ぜられ、実吉安純(海軍)、清水郁太郎、新藤二郎、梅錦之丞、佐々本政吉等とともに医学留学生となった。明治23年(1890)6月28日歿。
本書はこのようにカール・シュワイゲルの眼科書の第2、第3部を坂井直常が訳補したもので、19世紀前半の欧州近代眼科を伝えた眼科書のひとつである。
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主な参考文献 |
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入沢達吉: |
明治十年以後の東大医学部回顧談 |
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中外医事 |
No.1136、p.277、 1928 |
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〃 |
1137、p.347、 〃 |
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〃 |
1138、p.394、 〃 |
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〃 |
1140、p.502、 〃 |
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〃 |
1141、p.579、 〃 |
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東京帝国大学: |
東京帝国大学五十年史。上下、1932 |
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鈴木要吾: |
蘭学全盛時代と蘭疇の生涯。東京医事新誌局、東京、1933 |
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長崎大学: |
長崎大学百年史.217.長崎、1961 |
|
東京大学: |
東京大学医学部百年史.東京大学出版会、東京、1967 |
|
中泉行正: |
日本近代眼科開請百年史―幕末における日本眼科事情―.臨眼26、1345、東京、1972 |
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小関恒雄: |
明治初期東京大学医学部卒業生動静一覧. |
|
日本医史学雑誌. |
33、3、317、東京、1987 |
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新実藤昭: |
明治前半期欧州医学留学生に就て一東大医学部第一回欧州留学生。新藤二郎の場合一 日本医史学雑誌、33、4、493、東京、1987 |
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図1 須淮(シュワイゲル)氏眼科必携外装 |
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図2 図1同書 扉および石黒忠悳の叙 |
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図3 図1同書 巻1巻頭 |
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図4 図1同書所載手術図。 |
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