『検眼鏡用法』
眼科が外科の一分科より独立するようになった原因の一つに検眼鏡の発明が挙げられているように、検眼鏡の発明は19世紀後半以降の眼科学を飛躍的な発展へ導いた。
検眼鏡は1850年(嘉永3年)にヘルムフォルツ(Hermann vOn Helmh01tz、1821~ 1894、Potsdam)によって、生理光学に属す新しい分野を開拓していた過程において発明されたといわれている。
検眼鏡(照眼鏡)がわが国へもたらされたのは、文久2年(1862)、ボードイン(A.F.Bauduin)が長崎の精得館教師に招聘された時に持参したのが最初といわれ、それによって直像法並びに倒像法検査が実施されたと伝えられている。この時、 リーブライヒ(RLiebreich)著、ボードイン蘭訳本(Handleiding tot Het Onderzoek van Het Oog met den Oogspiegel、
Utrecht. B Dekema, 1859)が同時に持参されたか否か定かでないが、既にヨーロッパにおいては検眼鏡用法の専門書が著わされていた。
わが国では検眼鏡用法の専門書としては、明治30年(1897)に河本重次郎(1859~1938)著の検眼鏡用法が出版されるまでは、明治14年(1881)に桐淵、山田両氏の検眼鏡用法、明治28年(1985)に丼上、内藤、山下三氏纂著の検眼鏡用法等が出版された。
本書は、桐淵光斎(1836~1895)校閲、山田良叔(~1907)訳纂により、明治14年(1881)に島村利助(馬喰町)から発兌された。本書が出版された明治14年5月の『医事新聞』(40号29頁)をみると次のような一文が掲げられている。
「予嘗テ外科器械師二聞クコトアリ。近年検眼鏡ノ諸国二出ルコト是二夥レト竊二思フ、医士若シ其用法ヲ識ラスシテ、或ハ画餅二属センコトヲ、因テ久シク此書ノ世二出テンコトヲ望ム。一日前家ノ桐淵光斎君一本ヲ袖ニシテ恵贈ス。即チ検眼鏡用法ナリ。予杯欣シテ曰ク、君ノ着眼何ゾ、夫レ高キ乎。唯病者ノ眼ヲ救療スルノミナラス。又医士ノ眼ヲ透明ナラシムト謂フベシ。云々」
これは桐淵光斎が医事新聞社へ検眼鏡用法を寄贈した際、医事新聞持主、田代基徳(1839~1898)氏が誌した広告文とみられるが、本書の出版待望とその有用性を力説していることがわかる。
本書は336頁、全1冊、洋綴(20×13 cm)、活版印刷、片仮名交り和文、四周双辺、無界、毎頁13行、毎行26字、眼底附図14、挿図34、内容は4章よりなり、各章にはさらに諸項目が挙げられて詳述されているが、目次により抄記すると以下の通りである。
検眼鏡用法 目次 | ||
第1章 視学的原理 | ||
光線ノ反射、曲面ノ反射、光線ノ屈折、肖像形生、眼屈折装置、視機調節機能、 物体大小ノ感 | ||
第2章 検眼鏡ノ原理 | ||
瞳孔黯黒ナル理由 | ||
眼内輝照法 | 倒像検査、直像検査 | |
検眼の種類 | リープライヒ氏検眼鏡 コクチウス氏検眼鏡 ツエーヘンデル氏検眼鏡 |
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検眼鏡検査法 | 検眼鏡撰用取捨、暗室、光源、瞳孔散大、倒像検査法、 直像検査法 |
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斜輝照法 | ||
第3章 健眼ノ検眼鏡的状景論 | ||
屈折体、視神経円板、網膜血管、網膜、脈絡膜 | ||
第4章 病眼ノ検眼鏡的状景論 | ||
検査ノ法則 | ||
第1 屈折体諸病論 | 屈折体内溜濁ノ深浅ヲ測定スルノ法 | |
角膜諸病論 | ||
水晶体諸病論 | ||
〔第1〕内障眼 | ||
(甲)水晶体実質性内障眼 (乙)水晶体嚢性内障眼 | ||
(丙)水晶体溷濁二合併スル水晶体嚢性内障眼 | ||
〔第2〕水晶体脱位 | ||
(甲)局部脱位 (乙)全部脱位 | ||
硝子体諸病論 | 硝子体炎、同溷濁、同内出血、同内肝脂、同液化症、同内異物、同内含蟲嚢、 同動脈遺残症 | |
第2 屈折状態異常論 | ||
正視眼、近視眼、遠視眼、円錐角膜、乱視眼 | ||
第3 視神経諸病論 | ||
色澤ノ変化 | 視神経充血、同貧血、同萎縮症 | |
表面ノ陥凹 | 先天性生理的陥凹、萎縮症性陥凹、緑内症性陥凹 | |
表面ノ隆凸 | 血管二関係シテ起ル視神経円板ノ腫脹、細胞増息二関係シテ起ル視神経円板 ノ腫脹、炎ノ為メニ視神経萎縮ヲ起スモ未ダ炎性産生物ノ吸収セラレザルト キニ見ル所ノ視神経円板ノ腫脹 |
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辺縁ノ変化 | 視神経色素沈着症、溷濁視神経繊維、炎性滲出、 脈絡膜萎縮、血管 |
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第4 網膜諸病論 | 網膜充血、網膜炎、蛋自尿性網膜炎、白血性網膜炎、梅毒性網膜炎、出血性網膜 炎、色素性網膜炎、網膜剥離症、網膜癲病、網膜貧血、網膜知覚過敏、網膜中心 動脈ノ投拾子、網膜腫瘍、網膜萎縮、網膜嚢腫 | |
第5 脈絡膜諸病論 | 色澤ノ変化、色素ノ変化、滲出性斑粘、萎縮性斑粘、脈絡膜充血、漿液性脈絡膜 炎、粟粒性脈絡膜炎、後強膜拡脹症、醸膿性脈絡膜炎、脈絡膜膠核変性病、脈絡 膜結核、脈絡膜腫瘍、脈絡膜内骨質形成、脈絡膜不具、脈絡膜破裂症、脈絡膜出 血、脈絡膜剥離症 |
このように本書は、視学的原理、検眼鏡の原理、健眼の検眼鏡的状景論および病眼の検眼鏡的状景論について記述されたものであるが、眼科における診断には決して欠くことのできない検眼鏡について、その用法を明治初年において詳述したものとして注目される。
検眼鏡は医学の進歩するに随って益々その必要性を増し、改良され、その用法についても、前述の如く明治28年(1895)、井上、内藤、山下共著の検眼鏡用法が、また、明治30年(1897)に河本重次郎著の検眼鏡用法等が次々と出版され(これは明治45年に第5版を出版)、内容的にも学理に詳しく、また新色を加えていった。
●主な参考文献
田代基徳: 医事新聞.N040、P28、医事新聞社、1881
河本重次郎: ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ之伝 日眼5、29、東京、1901
小川剣三郎: 稿本日本眼科小史 吐鳳堂、東京、1904
小川剣三郎: 抱桃英(ボードインBauduin)先生伝 実眼3. 363,東京、1920
宇山安夫: わが銀海のパイオニア 113 千寿製薬、大阪、1973
酒井シヅ: 検眼鏡.角膜計を発明したヘルマン・フォン・ヘルムホルツ 検査と技術10, 356、医学書院、東京、1982
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図1 検眼鏡用法 表紙 |
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図2 検眼鏡用法 巻頭 (桐淵光斎:校閲、山田良叔:訳纂) |
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1989年3月 (中泉・中泉・齋藤)