研医会図書館 2021 秋 デジタル展示会 

 2021.11.4
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2021年 デジタル展示会 シーボルトとその門人

横浜薬科大学・教授 梶 輝行

第1回  シーボルトとシーボルト門人による業績史料の紹介(1)

 はじめに 

 研医会図書館には、近世日本にオランダ商館を通じて齎された蘭書をはじめ、その翻訳に供した版本や写本、また関係史・資料が、和方や漢方の医薬書関係とともに、多く所蔵されています。医学・薬学のみならず、化学、物理学、博物学、そして軍事学などその内容は多彩であり、近世の蘭学や幕末・維新期の洋学を代表する書物があります。 

 そこで、今回より隔月で、研医会図書館所蔵の史・資料からテーマを設定して、史・資料の書誌学的な考察を中心に、その史・資料が有する成立事情や影響、史・資料的な価値等についてコンパクトに紹介していきます。 

 その最初に当たり、まずは来日外国人として最も著名なドイツ人シーボルトに関係する研医会図書館所蔵の史・資料を紹介していきます。 

1.ベルリン日本学会所蔵のシーボルト関係資料の概要 

 ドイツ人フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(Philipp Franz von Siebold,1796-1866)は、1823(文政6)年から1829(文政12)年まで長崎出島のオランダ商館医師として来日(第一次)しました。幕末開港後には2回目の来日(第二次)を果たし、1859(安政6)年から1862(文久2)年までの期間に日本の長崎・江戸に滞在しました。 

今回紹介する内容は、第一次の来日後オランダに帰還したシーボルトに宛てた、日本での愛妻其扇ことお滝さん(楠本滝)の書簡の中に、ドイツ人医師のコンシュブリュッフ(Georg Wilhelm Christoph Consbruch,1764-1837)とチットマン(Johann August Heinrich Tittmann,1753-1831)の著わした医書を、愛子のお稲のために送付してほしいと記載が見えます。このことが記述されている書簡を紹介したうえで、2つの蘭医書に注目して、それら書物の受容と翻訳書の成立事情について順に解説をします。 

 其扇の書簡は、シーボルトが読解できたカタカナ表記の日本語で筆記されています。書簡は、シーボルトの長男アレクサンダー・フォン・シーボルトの長女エリカが所蔵していたもので、シーボルトの肖像・遺品・卒業証書類・草稿・研究資料類など一括の資料群の中に含まれていたものです。それらの資料群は、エリカから1927(昭和2)年にベルリンの日本学会Japan-Institutが買い取り、同学会主事のトラウツ博士(Dr.F.M.Trautz)によって整理が進められました。日本学会が所蔵するシーボルト・コレクションは、翌1928(昭和3)年9月に板沢武雄博士がいち早く史料採訪されていますので、板沢博士が日本人として最初にこの書簡に出会ったものと考えられます。次いで、1929(昭和4)年9月には幸田成友博士が採訪されて、1931(昭和6)年2月に「シーボルト一家の手紙」として『中央公論』第40巻第2号に掲載して日本で初めて紹介されるところとなりました。幸田博士は後に『和蘭夜話』(同文館、1931年刊)にも同論文を再掲し、現在では『幸田成友著作集』第4巻にも収録されています。幸田博士に続いて、同じく1931(昭和6)年頃に、黒田源次博士が同学会において書簡の調査を行い、ベルリンの日本学会が所蔵するシーボルト関係書簡をドイツで刊行されていた雑誌“Yamato”Ⅳ(1932年1月号~4月号)にドイツ語論文‘Briefe aus Philipp Franz von Siebold’s Nachlass in Japan-institut’と題する論文で発表しています。 

 1934(昭和9)年春、ベルリンの日本学会の会長で前駐日大使のヴィルヘルム・ゾルフの好意により、東京の財団法人日独文化協会が日本学会から300余点のシーボルト関係資料を借用することになりました。東京帝国大学の図書館内の一室で保管することになった借用資料は、入澤達吉博士を委員長に各学問分野の学識者を集めて総合的な調査研究を推進し、1935(昭和10)年4月20日から同月29日までの期間に上野の国立科学博物館において「シーボルト資料展覧会」が開催され、、この其扇の書簡もこの時に日本で初めて公開されました。この時の研究成果は、『シーボルト研究』(岩波書店、1938年刊)としてまとめられ、また資料の一部は『施福多先生文献聚影』と題された書物で紹介され、書簡類は大鳥蘭三郎翻訳の『シーボルト関係書翰集』(郁文堂書店、1941年)が出版されて広く知られるところとなりました。因みに、研医会図書館には、この当時刊行されたシーボルト関係書籍が所蔵されています。 

 

2.シーボルト宛の其扇(楠本滝)書簡の紹介 

 ここに紹介するシーボルト宛其扇書簡は、現在は所蔵が不明になっている書簡のうちの一つとなっています。ベルリンの日本学会所蔵のシーボルト関係資料は、第二次世界大戦の終結直後に米ソ両軍により分割没収されました。その後、ドイツ(当時の西ドイツ)に返却されてボッフム・ルール大学東アジア学部図書館の所蔵に帰するところとなりましたが、同大学に収まるまでの過程で紛失した資料も少なくない状況であり、この其扇書簡もそのうちの一つとなっています。幸いにも1934年に日独文化協会が借用した際にフォトシュタット版として複写したことで、それが現在、東洋文庫に所蔵されているものです。残念ながら、東洋文庫所蔵のフォトシュタット版には、オランダ文の書簡のみ複写したものであり、その日本文は撮影されていませんので含まれいません。戦前の幸田博士の論文や『シーボルト関係書翰集』に収録された内容から、其扇の日本文の書簡を紹介することにしますが長文のため、ここでは書き出しと文末の部分に限り翻刻した箇所を掲載します。なお書簡中の「/」は改行を意味し、下線は筆者が付記したものです。 

 

 去年十二月廿八日出之御書状、こんねん/七月ニ拝しまいらせ候 まつとや御前さまはじめ/御かゝさま御きけんよく御くらしなされ候よし/まんまんうれしそんしまゐらせ候、志かれはおい称/はしめ みなみなそくさいニくらしまいらせ候/はゞかり様なから御きもし安くおほし召/下され候 おい称事も日々とせい志ん/いたし きけんよくあそひまゐらせ候間、何ニも/御安しなされましく、毎日毎日あなた様/の事はかり申居候 随分き里よふよろしく 里こふニおひたちまゐらせ候/みなみなよろこひ居申候、とふそ今/一度御前様の御めニかけたくそんしまゐらせ候/へとも かなひ不申候 これの/みなみなさん称んニおもひまゐらせ候、御前様事/いかゞ御くらしなされ候哉 毎日毎日/あんじまゐらせ候(中略) 

 一 御前様の御よふしも御座候ハゝ/御申こし下され候ハゝ とゝのへ/おくり進しまゐらせ候間 御きもし安く/御申こし下され候 おるそんにも何そ/よふむきも候へは 申こし候よふ/御申きけ下され候 何にてもとゝのへ/おくり進しまゐらせ候 

 一 おい称に いざらさ二三反 又外に/いしよこんすへるふ ちつとまん/とふそ又のたよりに おくり下され候/よふ御たのみ入まゐらせ候 

一 此方みなみな無事ニくらしまゐらせ候/御きもし安くおほし召下され候/申あけたく事は、やまやま御座候へとも/かり筆ゆへ心ニまかせす、あらあら/申のへまゐらせ候 おい称事 何も御あんし/なされましく候よふ くれくれも御た/のミ入まゐらせ候 御前様の御きけんよく/御くらしなされ候事 かみかけ/いのりまゐらせ候 まつはあらあらよふし/申あけまゐらせ候 めてたくかしこ/ 十月廿四日 そのぎ より 

 

志ゝほると様 

 Deze brief wierd vertaalen door zeker oud leerling 

(この書簡は貴方の門人だった方が翻訳されたものです) 

*(参考文献)幸田成友論文のほか『シーボルト関係書翰集』(60~64頁)  下線部は、オランダ文の書簡によると、Gelieft chits drie of vier stuken aan lieve goede Oine te zenden en goede geneeskunde en heelkunde als Consburch en Tittman, te geven.とあり、これを翻訳すると「可愛く優しいお稲に、絵柄のある更紗三、四反を、この他にコンシュブリュッフ(Georg Wilhelm Christoph Consbruch,1764-1837)とチットマン(Johann August Heinrich Tittmann,1753-1831)の医学関係の良書をお送りください。」とあります。この後半の医書の探求は、書簡をオランダ文に翻訳したシーボルトの門下生による依頼と考えて間違いないと考えます。これまで『シーボルト関係書翰集』を翻訳・刊行した大鳥蘭三郎博士は、鳴滝塾の門下生である高良斎であると推定されました。そこで、現存する高良斎自筆のオランダ文筆記と比較したところ、オランダ文書簡は高良斎の筆致ではことが判明しました。当時長崎に滞在していたシーボルト門下生のだれかであることは間違いないと推察できますが、現時点では人物の特定には至っていません。 

 この書簡で門下生の一人がシーボルトに医学書の探求・送付を依頼したコンシュブリュッフとチットマンは、まさに同時代に活躍したドイツ人医師です。シーボルトの影響により、ドイツ流医学のうちで当時高い評価を得ていたこの両者の医学書への関心は、シーボルト門下生の間で注目されていた医学書であると考えられます。 それでは次回以降、シーボルト宛書簡に記載されたコンシュブリュッフ(内科医)そしてチットマン(外科医)の蘭医書の輸入とその翻訳成果等について順に紹介していくことにします。 

(横浜薬科大学・教授 梶 輝行)

     

       

 

 

 

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