2025.1.24
『艸名集』(草名集)3冊
今年のNHK大河ドラマは江戸時代の出版事業を取り上げていて、先日は吉原の女性たちを花に見立てた『一目千本』という本ができていくストーリーでした。江戸時代は園芸が盛んで、植物に関する情報が好まれていたと思われます。そこで今回は、文政年間に出た俳句と植物画で構成された本『艸名集』をご紹介します。
本は3冊が組みになっており、最初に文政5年に「秋之部」、文政6年に「夏之部」が刊行され、その後文政10年になって「春冬之部」が出版されています。研医会図書館にある「秋之部」の巻末には、「尾張書肆玉山房製本目録」があり、そこには日本橋中通の六左衛門と名古屋本町九丁目の菱屋久兵衛が発行書林として書かれています。江戸と名古屋の2か所の都会で売り出された本とわかりますが、「春冬之部」の表紙裏には「名古屋 鶴泉堂 萬板木/彫刻所」という判子が押されているので、研医会のものは名古屋で作られたのかもしれません。
編者の大鶴庵(1732-1792)は、文化文政期の尾張俳壇の中心的な人物です。塊翁という号を持ち、『艸名集』のほか、『あをむしろ』『花鳥楽事』『雪月文事』などの編著があります。文政12年に亡くなっていますので、「春冬之部」はその2年前の刊行ということになります。晩年に四季の俳句を揃えて世に出して、よい人生のしまい方です。
『艸名集』はところどころ、色刷りのページがあり、何といってもその植物画が魅力的に描かれています。蒲公英(たんぽぽ)などは墨色で刷られていますが、濃淡を使い分けて、立体的な絵になっていますし、覆盆子(イチゴ)はきれいな赤で実を、白で花を色付けしてあります。植物画は何人もの画師が関わっていたらしく、中には鼓豆(ささげ)を描いた画師のように、テキスタイル・デザインに使えそうな描き方をしているものもあります。また、植物名の異名も添えられているので、江戸の人たちがその植物を何と呼んでいたかもわかります。今は「クレマチス」と呼んでいる花は「風車」「鉄線蓮」と呼ばれていたようです。
問題は、といっても私個人の問題なのですが、俳句の崩し字がすらすら読めないことです。江戸時代の寺子屋に通うこどもは、変体仮名の方が読みやすかったと聞いたことがありますが、勉強不足でいまいち、読めません。今年はこの本で崩し字の学習をしてみるか、と思いました。
図1 『艸集名』 春冬之部 巻頭
図2 同本 フクジュソウのページ
図3 同本 ナズナとハコベのページ
図4 同本 ホトケノザとスズナ・ウグイスナのページ